おおきに京都 ブログ

慣れ親しんだ京都の町に感謝して書くブログです。その他私の趣味などについて書ければと思っています。

桜折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿

春の選抜高校野球が昨日開幕し、連日熱戦が繰り広げられている。今大会は何と言っても「飛ばない金属バット」の導入だ。守備は「前進守備」がセオリーになるかもだが、芯で打てば飛ぶはずなので、作戦や技術面に注目だ。

さて、今日の朝刊に「疎水沿い」 桜咲かぬ春」という記事があった*1。記事によれば、京阪電気鉄道(京阪)の「龍谷大前深草駅」敷地内の桜並木が開花前に全て伐採されたとのこと。この桜並木は地元住民の「憩いの場」として愛されていただけに、落胆の声が聞かれているようだ。

桜は日本人の精神性に刺さるのです

京阪としては、自社の敷地内でもあり、木の根元にたまった落ち葉が燃える「ボヤ」騒ぎや、老木の倒木による列車運行への影響などを考慮して伐採を決めたそう。そのことには何ら問題はないのだが、ただ一点残念なことがあるとするならば、「桜並木が地元住民に愛されていたことを京阪側が認知していなかった」ことだろう(伐採に関する事前説明はなかったよう)。常日頃から「自己に対する評価」を確認しておくことは重要で、私も職場の付近のお宅には「お盆」と「年末」には手土産をもって訪問し、苦情・要望などをお聞きしていた。まあ、そこまでする必要はないかもだが、「お宅の桜綺麗ですね」ぐらいの声が聞こえていなかったのなら残念極まりない。結果的に伐採することになるとしても、それに関わる「利害関係者」の「納得」を得ておく時代になっていると思う。私の若かりし頃は、「結果を出せばよい」みたいな風潮があったが、今は「結果よりも過程を重視する」時代になっているので、他者の気持ちを推し量る「想像力」が必要なのだと。

タイトルの「ことわざ」は実は誤りで、正確には「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」*2のようである。この誤ったことわざは「私の創作」である。昔、花見の席で酔っ払いが「桜の枝」を折るという行為が問題になった。その時に、「梅の枝を少し折って文でも添えれば風流だけれど、命短い桜の枝を折るなんて無粋極まりない」と言ったもの。桜を守るためだったのですが、「梅の木」に被害が出るほどの影響力は多分なかったので…。ゴメンなさい。

*1:2024年3月19日(火)京都新聞朝刊22面

*2:

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